バブルの頃は下請けの方が強かった。
仕事が有り余るぐらいあったあの時代。どこの会社もどの業種もとにかく忙しかった。仕事を探す必要は全くない。探すのは実際に物を作れる工場や現場で働いてくれる職人さん。ここを確保するのが元請けの仕事だった。
当社は末端の下請け会社だったわけですが、価格もこちらのほぼ言い値でさせて頂けてました。天国のようなバブル時代(笑)5日ごしに入金があるような状態でしたので「毎週給料日だぜ」何てことを平気で言ってました。
そして当時の良かったことは消費税が無かった。お客様から頂くことも無ければ税務署に納める必要も無し。決算時に慌てて用意する必要も無し(笑)元請けから「税込みね」なんて言われることも無し。
こんな時代ですから下請け業者は態度がデカかった。当時、市内のパチンコ店の改装工事をかなりの件数請けてやっていたのですが、この時だけは当社が元請け。当然、業者の確保に本当に苦労しました。とにかくどこも忙しいので、簡単には請けてくれない。発注すると言うよりもお願いするという感じです。
見積金額がイコール請求金額。値引きなんてとんでもない。次から請けてもらえなくなります。現場に職人さんが入っている期間は昼飯も元請け持ち。もうね、下請け天国でした(笑)
工事関係とは別に当社でも看板を作ってましたが、こちらは立場が変わって当社が下請け。当然、私は強気(笑)仕事を請けるよりも断る方が大変でした。もう、パッツンパッツンでこれ以上は無理ですよ!と言っても広告代理店は仕事を取ってくるわけです。
当時はありがたいと言うよりも「面倒くさい!」と言う横着な感覚。今の私しか知らない人は、信じられないでしょうけど、とにかく横暴で自分勝手で、ろくでなしの経営者でした。
こんな状態が一生続くと思っていた当時の経営者達。私も含めてまさか終焉が来るなんて思っても見ませんでした。年が明けたと同時に仕事がパタッと止まりました。「ま、そのうち動き出すやろ」とのんきに構えていられたのも春頃まで。まったく市場が動かないのです。
この頃の下請け業者達の慌てぶりは今から思えば滑稽でした(私も含めて)強気の態度を改めて挨拶に回るも仕事は無し。あったとしても今まででは考えられない単価の仕事ばかり。そう、仕事数が減ったので、いつの間にか値引き合戦が始まっていたのです。
私は一気に勝負をかけてホームページに活路を見いだしました。土俵を変えたのです。出遅れた会社は次々に廃業もしくは倒産。あの時、手を打つのが遅れていたらと思うとゾッとします。
教訓:勝利の中に負ける因が有り、敗北の中に勝利の因がある。どんなときでも一切の油断を廃して謙虚に、そして大胆に取り組もう。